第35話    「勝負は時の運」   平成16年12月05日  

かつて「勝負は時の運」と書いたのは、鳥羽絵風の絵を描いた鶴岡の文人で釣りを趣味としていた土屋鴎涯であった。魚が釣鈎に喰らい付くのは、人の地位や身分に関係なく運、不運であると云うのが、鴎涯の説の様である。それは時を同じくして同じレベルの釣り人が同じ釣場で、同じ竿、同じ仕掛け、同じ餌を使った場合であると考える。実際には赤の他人が同じ時刻に同じ磯で同じ仕掛けで立てる訳がないし、潮の流れも違えば竿の長さ、仕掛け、潮の流れ、根の張り出し、餌も異なる。

実際の釣では、名人、達人と呼ばれる方々は、数多くの魚を釣り上げて実績を上げている。それらの名人達の多くは如何なる場合であっても、魚が居るか居ないかを潮の流れや濁りの具合、更には水温や根の張り方で的確に判断し的確に釣り場を決めている。沖に居ると見れば魚を竿の届く範囲に寄せて釣る事も出来る。それらの人達にとっては決して「時の運」などと云う言葉は当てはまらない。釣れない時は、絶対に竿を下ろさないから、魚は必ず釣れるべくして釣れて来ると云う事だ。何らかの条件で竿を下ろさなければならなくなった時でも、ウマく撒餌を撒いて魚の食い気を誘い出し釣れる状態にまで持っていく術(すべ)を知っている。だからボーズなとど云う事は先ずないと云って良い。

ボースがないと云う事は長年の経験や知識が頭の中のコンピューターから、あらゆるデーターを割り出して計算しているのからである。ただ凡人がただ闇雲に釣をしていたのでは、釣れないし名人にはなれない。科学的に研究され配合された集魚材を使い魚の好む温度、科学的に裏づけされた魚の性質などの知識に、更に経験に裏づけされた勘を集合した場合には、釣にとってそれが何よりの武器となっている。昔の釣り人は経験と勘がすべてであつたが、現在の釣り人はそれに知識がプラスされている事が何よりも強みとなっている。それらの武器を生かすか、殺すかで勝負の結末はおのずと決まって来る。

ところが自分のレベルみたいな凡人の未熟な釣り人は、それらの武器を上手に生かす事が出来ない。だから釣れる釣れないは、いつもその日、その時の状況に左右されている。その為その日、その時の「時の運」次第で、釣果の90%以上が左右されていると云える。それはたまたま魚のいる場所で釣っていたから釣れたという結果なのである。残念ながら運が90%、腕が10%で釣っているようなものだ。だから土屋鴎涯の「勝負は時の運」と云う言葉は良く理解出来る。しかし名人と呼ばれているレベルの人達には、通用しない言葉である事は確かなようだ。